今年のクリスマス、ケンタッキーのフライドチキンを食べて過ごすという方もいらっしゃるだろう。
 
 

ケンタッキーフライドチキンの創業者といえば、白いヒゲをたくわえ、上下とも白のスーツに身を包むカーネル・サンダースさんだ。
 
 
カーネルさんが65歳のときにケンタッキーフライドチキンは産声(うぶごえ)を上げたが、それまでには大きな挫折と苦難があった。
 
 
世界的企業を成功に導くまでのカーネルさんの波乱の人生—。
 
 

画像出典:KFC by Marufish(Flickr)
KFC


 

カーネルさんは1890年に生まれる。
 
 
家を助けるために10歳から働きに出て、さまざまな職を転々とし、30代後半にケンタッキー州でガソリンスタンドを経営することに。
 
 
だが、大恐慌のあおりを受けて、ガソリンスタンドは倒産となってしまった。
 
 

40歳になったカーネルさんはゼロからもう一度、国道沿いでガソリンスタンド経営をはじめる。ガソリンスタンドの一角に6席だけの小さなレストラン「サンダース・カフェ」を併設。
 
 

「サンダース・カフェ」の目玉商品が、オリジナルのフライドチキンだった。素材にこだわり圧力釜を使ったチキンは大きな評判を呼んだ。
 
 

1935年には地域の人々へ貢献したと、ケンタッキー州知事から名誉称号「カーネル」を授与されるまでになった。
 
 

画像出典:IMGP0446 by kagen33(Flickr)
IMGP0446

 

順風満帆(じゅんぷうまんぱん)に見えたカーネルさんだが、またもや苦難が襲う。
 
 

1950年代中盤、新しい高速道路が建設されたことで車の流れが変わり、お客さんが激減。店の経営は一気に赤字に転落してしまう。
 
 

カーネルさんはこのまま続けても借金がかさむだけだと、これまで25年かかって築き上げた店を売り渡した。
 
 

これで自分の人生は終わるのだろうか・・・。このときカーネルさんは65歳。多額の負債(ふさい)を支払ったカーネルさんの手元に残ったのは、フライドチキンのオリジナルレシピだけだった。
 
 

不屈の精神によって、カーネルさんはレシピそのものを売ることを考え始める。他の店にレシピを教えることで、その売り上げの一部をもらうフランチャイズビジネスだ。
 
 

これがケンタッキーフライドチキンの始まりだった。
 
 

ビジネスは大きな成功をおさめ、73歳のときにはチェーンは600店を超えた。74歳のとき経営権を売却するが、その後も全世界のフランチャイズを指導してまわり、カーネルさんは90歳で生涯を終えた。
 
 

成功と挫折を繰り返し、波瀾万丈の人生を送ったカーネルさんは、こんな言葉を残している。
 
 

「いくつになったって、自分の人生をより価値あるものにするための努力をするべきだ。
 
何の問題も起こらない人生が、素晴らしい人生なわけがないのだから」
 
 

「サンダース・カフェ」で産まれたフライドチキンのオリジナルレシピは、およそ65年たった今でも受け継がれている。
 
 

(※↓詳しくはコチラへ)
参照:ケンタッキーフライドチキン/カーネルの物語
参照:Wikipedia/カーネル・サンダース
画像出典:IMGP0446 by kagen33(Flickr)
画像出典:KFC by Marufish(Flickr)
(本記事は上記の報道や情報を参考に執筆しています)








この記事に関するまとめ